実行委員・特別顧問

チェアマン 藤原 洋(ふじわら ひろし)

1954年、福岡県生まれ、1977年、京都大学理学部卒業し、1996年、東京大学工学博士(電子情報工学)を取得。1997年に(株)日本アイ・ ビー・エム入社、その後、(株)日立エンジニアリング、(株)アスキーを経て、動画像符号化方式の研究・標準化活動を行いMPEG(エムペグ)の創設に参画後、1996年、インターネット技術に関する研究開発企業(株)インターネット総合研究所を設立。2005年、宇宙・環境エネルギーベンチャー(株)ナノオプトニクス・エナジーを設立(現在、取締役、ファウンダー)。2011年、(株)ブロードバンドタワー代表取締役会長に就任。社長CEO兼務。公職活動として、現在、(財)インターネット協会 副理事長、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、慶應義塾大学大学院プロジェクト研究教授、SBI大学院大学副学長を兼務。さらに、2009年、総務省ICT政策タスクフォースメンバー、2010年、大学共同利用法人自然科学研究機構経営協議会委員、2011年、「日印グローバル・パートナーシップ・サミット2011実行委員」に就任。代表著書に、『第4の産業革命』(朝日新聞出版)の他、『ネットワークの覇者』(日刊工業新聞社)、『科学技術と企業家の精神』(岩波書店)など多数。

特別顧問 平井 伸治

鳥取県知事
1961年生まれ。東京大学法学部を卒業後、1984年自治省入省。選挙部、財政局、税務局等で勤務の後、鳥取県総務部長、副知事を歴任。その後自治体国際化協会ニューヨーク事務所長等を経て、2007年鳥取県知事に就任。

特別顧問 野坂 康夫

米子市長
1945年米子市生まれ。東京大学入学後、1969年外務省入省。在バンクーヴァー総領事、文部省大臣官房審議官などを歴任。2003年より米子市長に就任。

顧問 秦野 一憲

株式会社中海テレビ放送 代表取締役社長
昭和23年(西暦:1948年)2月3日生まれ。平成11年6月 株式会社中海テレビ放送 代表取締役社長に就任し、平成16年6月〜至現在まで、鳥取県経済同友会代表幹事をつとめる。平成22年4月〜至現在まで、一般社団法人鳥取県ケーブルテレビ協議会の代表理事を歴任

   

顧問 長谷川 泰二

公益財団法人とっとりコンベンションビューロー理事長
公益財団法人鳥取県文化振興財団評議員
一般社団法人山陰コンテンツビジネスパーク協議会代表理事
日本コンベンション研究会幹事
1946年4月27日生まれ。
鳥取県立米子東高校卒
早稲田大学教育学部卒
大学卒業後、株式会社第一企画においてTVCMプランナーとして勤務。5年間勤務の後、地元米子市に帰省。企画製作会社「あっぷるはうす」を設立。「頼まれたことが仕事」であり、広告制作から街づくりまで多方面の仕事に関わる。
地元経済界からの支援で地域のシンクタンクを設立。代表取締役に就任。数々の構想・計画をつくる。その中に「人の集う街」をコンセプトにして「米子コンベンションシティ構想」を立案。現在の勤務である「とっとりコンベンションビューロー」の設立に関わり、現在は理事長として街づくりを実践している。また、鳥取県が「まんが王国建国」を地域振興の柱に掲げているのを受けて、「一般社団法人山陰コンテンツビジネスパーク協議会」を立ち上げ代表理事に就任して現在に至る。

顧問 赤井 孝美

イラストレーター、プロデューサー・米子映画事変委員長
1961年鳥取県米子市生まれ。イラストレーター、アニメプロデューサー、ゲーム作家。株式会社ガイナックス所属。大阪芸術大学在学中に、第20回日本SF大会「DAICON III」および第22回日本SF大会「DAICON IV」のオープニングアニメのキャラクターデザインで注目を集める。また、同イベントを通じて結成されたアマチュア映像製作グループ「DAICON FILM」にて「愛国戦隊大日本」、「八岐之大蛇の逆襲」 などの実写作品を監督する。その後、DAICON FILMのメインスタッフを中心に設立された株式会社ガイナックスにて、同社初のゲーム作品「電脳学園」や育成SLGの草分け的作品「プリンセスメーカー」シリーズを生み出す。近年ではアニメやイベントのプロデュースなども手がけ、精力的に活動する。

顧問 判澤 正大

有限会社ニューハンザー 代表取締役
NPO法人喜八プロジェクト 理事長
株式会社ダラズコミュニティ放送 取締役会長
1967年8月30日生まれ

顧問 宇田川 正樹

一般社団法人山陰コンテンツビジネスパーク協議会 副理事長
株式会社アルファオフィス 代表取締役
1964年4月21日鳥取県南部町生まれ。地元IT企業勤務を経て、2013年2月2日に鳥取県米子市に街づくり会社である株式会社アルファオフィスを設立し、コンテンツビジネス集積拠点であるアルファビルを開発、その後同年4月11日に一般社団法人山陰コンテンツビジネスパーク協議会の設立にも関わる。現在、経済産業省・総務省・鳥取県・米子市と連携の下、ポップカルチャーをコンセプトとしたコンテンツビジネス・クリエイティブ産業を地域に定着させる為に策定した「よなごコンテンツビジネスパーク開発構想」を実現させる取り組みを行っている。

実行委員長 高秀蘭

台湾テレビのプロデューサーとしてキャリアを積み、1986年ニューウェイブを設立。以降、中国語圏の優れた監督の製作・配給に関わってきた。ヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞した台湾の侯孝賢(ホウ・シャオ・シェン)監督の「悲情城市」(1988年)、「戯夢人生」(1991年)のプロデュースを始め、中国の張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「紅夢」(1991年)、「活着」「上海ルージュ」(1995年)、「何平」(ハー・ピン)監督の「哀愁花火」のポストプロダクションを努めた。その他、陣凱歌(チェン・カイコー)監督とは「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993年/カンヌ映画祭パルムドール受賞)、「花の影」(1996年)「始皇帝暗殺」(1998年)や「鳳凰わが愛」(2008年)、新宿インシデント(2009年)のプロデュースを手掛ける。

実行委員 大和田 廣樹

大学卒業後、メディア関連のコンサルタント業務を経て、96年に株式会社インターネット総合研究所(IRI)の設立に参画。同社は、99年に東京証券取引所マザーズ市場の第1号として上場する。02年、IRIのデータセンター小会社の株式会社ブロードバンドタワー(BBT)の社長に就任。03年ブロードバンドユーザー向けのドラマを製作するネットシネマ事業を開始し、「D-5 Project」として林海象監督と「探偵事務所5」シリーズを共同プロデュースする。また、映画プロデューサーとしても『もんしぇん』(06)、『松ヶ根乱射事件』(06)、『ドルフィンブルーフジ、もういちど宙へ』(07)、『寄子』(08)、『ぐるりのこと。』(08)、『ニセ札』(09)、『THECODE/暗号』(09)などを手掛けている。現在は、活動の中心を台湾、中国に移し、日台合作テレビドラマ『木蘭花』のプロデュース。2011年6月には台湾に中国映画市場へ本格進出するために大唐國際娛樂股份有限公司を設立。中日韓台の合作映画やテレビドラマの企画に取り組んでいる。

実行委員/ファウンダー 太田 雅人

1965年 8月4日生まれ
1984年 大阪府立大手前高等学校卒
1989年 関西学院大学経済学部卒
1989年 日本電気(株)NEC入社
1991年 NEC退職後、GETTIグループ創業
株式会社GETTI GROUP代表取締役、株式会社ゲッテイ 代表取締役、米国法人GETTI INC CEO、香港法人GXHoldings inc. CEO
一般社団法人クールジャパン協議会 副理事長、NPO法人地域活性化大学 副学長、一般社団法人学生のチカラで日本を元気に! 顧問。1986年の学生時代、ラグビー同好会に所属しながら"JCF日本サークル連盟"を設立し、企業側からの学生活動への協賛・支援の窓口を 担う。その中で、企業の学生マーケティング・ニーズに気づき、ヤングマーケット向けの広告・プロモーション・情報配信を行う、学生ビジネス集団 を設立。大学卒業後、日本電気(株)(NEC)を経て25歳の1991年にNEC退職後、 GETTIグループ創業。
 現在、1業種1社の企業と、学校法人・地方自治体をクライアントに、ブティック型で展開するBranding&Consulting事 業を行うかたわら、大学時代に掲げた<Boderless Communication>をグループポリシーとし、世代メデイア等のグ ループ会社の代表者として<世代間>、<地域 間>、<国家間>の障壁を超えるコミュニケーションネットワークの構築を目指している。
 ライフワークとして<将来世代である学生と一緒に>日本を元気に!の活動を展開している。

(敬称略)